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素人による創造
373936 日本人の「野生の思考」を再生する
 
匿名希望 ( 23 ) 22/01/12 PM08 【印刷用へ
日本人の活どん底問題には、本来の「働く=はたをらくにする」でなくなっているからではないか?

自然も人も支配するものではなく、一体化し何かを生み出すものであったはず。


以下、引用(リンク

レヴィ=ストロースは、文化人類学者として世界中をフィールドワークした人物として有名ですが、哲学者でもあります。日本にも2、3回来ていて、当時彼が「人間にとって労働とは何なのか」を研究していたこともあって、日本の職人の働き方を観察しました。漆塗りや木工の職人、陶器をつくる人などを徹底的にリサーチして、それが『月の裏側』という本に書かれています。

彼がその観察で理解したのは、西洋人の「働く」と日本人の「働く」は違う、ということでした。西洋人の労働というのは、自分の頭にあるプランを完璧に対象とか自然にあてはめる。たとえばコンクリートで何かをつくるとしたら、完全に材料をペースト状にして、自分が想像した設計図にあてはめて型をつくる。

ところが日本人は違います。たとえば石垣。自然の石をどう組み合わせたら石垣になるかを考える。陶器をつくる人は「この土がなりたがっている形を引き出す」と言ったり、仏師も「私は何もしていない。この木の中に眠っている仏様を掘り出しただけだ」などと言ったりするわけです。

レヴィ=ストロースはそこに気がついた。つまり、日本の職人は主体的に何かを支配しようとするのではなくて、素材そのものが持っている素晴らしさ、潜在力を引き出そうとする。これを彼は「野生の思考」と呼んでいますが、それが日本人の働き方であって、いまの西洋人が失っていることだ、と言うのです。そして「日本人にこそ学べ」と。

あらゆるものを開発して消費しつくしてしまう、先がないような文明のつくりかたではなくて、日本人の、受動的に何かを引き出そうとする働き方こそが、人間の労働に豊かさを取り戻す方法だ、ということを間接的に言っている。

『月の裏側』はほとんどが講演録で、体系的にまとまっていないから、深読みが必要とされる部分もありますが、僕はこれを読んで深い感銘を受けました。

自分の仕事を振り返ってみると、自分の頭の中のプランを現場に押しつけて、自分のやりたいことだけを実現しようとしていた。やはり支配していたな、と思いました。

支配からは生み出しえないもの

秋満:夫婦の間でも職場の人間関係でもそうですが、人間というのはどうしても他者を支配したくなるわけです。でも、本当にすごいことが起こるのは、相手の内発的な力が引き出される場合です。誰も考えなかったような素晴らしいことが起こる。そういうものが「いい仕事」と言えるんじゃないかと思います。

安田:『平家物語』に宇治川の合戦の場面があります。流れの激しい宇治川を、騎馬で渡らなければならない。それをリードした武将の指示は、まず強い馬を川上に置く。そして、その馬に川の流れを堰き止めさせて、緩くなった川を弱い馬に渡らせる。それでも遅れたものは弓の端を取らせて引っ張り、絶対に置いて行ってはいけないと。

そして渡るときには、川の底に足がつくときはできるだけ手綱を緩めて自由に歩かせよ、馬の足がつかなくなり、思うように動けなくなってはじめて手綱を締めて泳がせよと。それで300騎が渡り切った。馬の能力を最大限引き出せ、ということで、これは非常にレヴィ=ストロース的なエピソードですね。

秋満:ギリシア語に「ポイエーシス」という言葉があって、これは潜在的なものを引き出すということです。一方で「プラクシス」というのがあって、自分のプランを相手にあてはめて支配する方法です。もともとギリシアには両方の働き方があった。ところが西洋世界が近代化し労働が効率的になっていく過程で、ポイエーシス的な部分が失われて全部プラクシスになってしまった。レヴィ=ストロースがすごいのは、日本人の働き方を見て、西洋人ももう一度ポイエーシスを取り戻そうよ、考えたところです。

安田:プラトンの『パイドン』で、ソクラテスが死ぬ直前に詩を書き始めるんですよ。そのときにロゴスを使ってはいけない、というんですね。ミュートスを使うんだと。ロゴスは支配、ミュートスは自然と言えます。

詩というのはつくるものではなくて、生成されるものなのです。それをソクラテスは死の直前に気づいた。内発的に沸き出てくることをただ書いていく、それこそが詩だと。

秋満:よく「詩神が降りてくる」と言いますが、書こうとすると上手く書けない。詩作というのもどちらかというと受け身の行為なのですね。

さて、これまでの話に共通するのは、受動的な態度、受け身の姿勢でいることは、主体的に何かを支配しようとすることとは違う何かを生み出す、ということではないでしょうか。

フランクルにおける人間は「人生から問われる」という意味で受け身の存在だし、『モモ』では「耳で聞く」という受け身の行為が重要なテーマでした。そしてレヴィ=ストロースが発見した日本の職人の働き方も、自分が支配するのではなくて、対象の良さを引き出すという受け身の姿勢を体現しています。
 
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