その原動力となっているのは、’11春の原発事故と’12末の不正選挙によって生起した、危機感と不整合感の増大である。事実を隠蔽し続けるお上の言動に対する不整合感と秩序崩壊の危機感は、学歴信仰と身分序列の崩壊を予感させ「いい生活、いい大学」という言葉が象徴する私権活力の息の根を止めることになった。
それは、私権追求の活力に代わる、本源的な活力の欠乏を上昇させると共に、「事実を知りたい」「時代の先行きを見通したい」あるいは「社会の構造を掴みたい」「人々の意識の潮流を掴みたい」等、無数の追求課題を生起させることになった。
それらの欠乏こそ「仲間と追求するのは楽しい」という追求充足を生み出した源泉である。
私権活力の急低下と追求充足という本源活力の急上昇は、子供だけではなく、大人も同じである。例えば類グループが主催する若者や社会人を対象とする実現塾やシニアを対象とする老人大学でも、誰もが追求充足を体感しながら、事実の追求に収束してゆく。
これは、活力源の大転換である。追求充足とは、サルから人類への進化を生み出した活力源そのものであり、今人類は3千年に及ぶ私権追求という活力源を廃棄して、追求充足という人類本来の活力源へと回帰しつつある。この追求充足は無数の追求課題を前提としており、今後その追求方向に応じて様々な面で、人類を新たな進化段階へと導いてゆくに違いない。
我々は、活力革命の渦中にいる
要するに、今起きているのは活力革命である。これはフランス革命や明治維新やソビエト革命等の近代の「革命」とは、全く次元を異にしている。近代の「革命」は現実のどこにも存在しない頭の中だけの架空観念に導かれたペテンのような「革命」であり、従って彼らのキレイ事(架空観念)は全く実現されず、当然見捨てられていった。
それに対して、今起きている活力革命は、言葉に導かれた革命ではなく、言葉よりも遥かに深い潜在意識の地平で現に生起している革命であり、教育革命がそうであるようにこれは本物の革命である。
つまり、現在、我々はすでに革命(命を再生すること)の渦中にいる。
今や、追求充足のある場に人が集まる。仕事も集まる。従って、どこまで追求充足の場を形成できたかが、企業の盛衰を規定することになり、それが出来ない集団は淘汰されてゆくことになる。おそらく活力革命の渦中では、役所(公務員)や大企業はいつ解体されるか分からない最も不安定な集団と化してゆくだろう。 |
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