アイヌにとってカムイ(神)とは、人間的感覚を超え出た存在ではなく、自分たちの生活に影響するものの中で、人間が抗し難い力をもつものなら、動物であれ、自然現象であれ、カムイと呼ばれます。その中には伝染病の神のように都合の悪いものさえ含まれます。カムイはカムイモシリと呼ばれる神の国で、人と同じ姿で暮らしていると信じられているのです。
代表的なカムイには次のようなものがあります。
シマフクロウ、ワシ、タカ、オオカミ、ヒグマ、キツネ、シャチ、クジラ、カメ、トリカブト、ドクキノコ、丸木舟、臼、食器、家、山、川、海、火、風、水、地震、津波、雷
これらの中で神格が高いのが、シマフクロウのコタンコロカムイ、火の神アペフチカムイ、クマのキムンカムイ、シャチのレプンカムイです。
(お稲荷様のキツネなども、原初的な神道では神の使いではなく、神そのものと見なされていたようですね。)
さて、道具が含まれているのを見てもわかるように、アイヌの神は超越的一神教の神とは全く異なり、むしろ自分の持ち場、役割を分担している「職能神」なのです。
「自然のさまざまな部分とかかわる職能神は、自然のなかに根をおろすとともに、古代日本人の自然についての経験のなかに根をおろしている。・・・日本の神々は、自然があらわすさまざまな現象、自然のいろいろな活動と密接に結び付いていなければならない。」 (平野 仁啓:日本の神々)
3606で、松本さんもこう指摘されています。
>「八百万の神々」と言うとき、そこにはキリスト教における神のように全知全能であるものを想像するわけではないだろう。さまざまな対象に神が宿るというのは、自然の中で神さえも己の役割を持っているものであり、万能ではないという思想を示す。神さえも集団で存在するというのが古来の日本人の考え方なのだ。
では、これらの神々に対して、アイヌの人々はどう関わったのでしょうか。
イオマンテのような大掛かりな儀礼とは別に、彼らはカムイノミと呼ばれる日々の祈りを行います。その年、最初に採れた鹿や鮭、丸木舟にするために切り倒す木、さらにはハエやノミ、ヒエやアワの糠にさえ、魂送りとしてのカムイノミを執り行うのです。
「猟に出ては山の林へ祈り、枝川の水神に祈り、狩の神に祈り、沖へ出て、風に遭っては祈り、雨に叩かれては祈り波に脅かされては祈り、猟がなければ、あるように祈り、あればあった喜びを告げて祈り、家にいても、不幸に祈り喜びに祈り、変災に祈り、病気に祈り、イナウ(祭壇に供える木幣)を掻けば祈り、酒を得れば祈る。」
(金田一 京助:アイヌの研究)
まさにアイヌは祈りの民であり、祈りこそが彼らにとって生活の規範そのものだったのです。
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