収束と統合という概念は、生きているという状態そのものを表していると思う。生物一般の法則から自分自身の行動や判断まで全て包摂して説明できる。それと大きく対比される観念論がネオダーウィニズムなどの進化論だと思う。だから現実の役に立たないし実感と合わない。
従来の進化論では、方向性のない無作為な突然変異と、自然選択によって適者が生存してきたとされている。しかし、ぎりぎりの外圧状況に適応す必要がある生命体が、外圧と無関係な無作為な変異のような、偶然によって生き延びてきたとは考えられない。
進化には、生命体を取り巻く外圧に規定された、ある可能性のレンジをもつ方向性があり、そこに全エネルギーを投入することによって、適応が実現されているのだと思う。まさに可能性に収束することにより統合されている。
人間が行うさまざまな判断も同様である。主観的には全方位にむけて考えているように思えても、場を貫く外圧は、意識下の部分(本能・共認)も含めて捉えており、ある可能性のレンジにおのずと方向付けられている(収束している)。だから、統合されたあとで過去を振り返ると、あたかもその方法しかなかったような錯覚に陥ることがある。
このように、収束と統合とは生きているという現実そのものをあらわしているのではないかと思う。
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