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私達は「気付き」始めた |
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井上緑 ( 21 学生 ) |
03/01/26 PM01 【】 |
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テレビが面白い、と言う人は、私の周りにはいない。彼らに、それでもテレビを見る理由を尋ねると、大多数が「暇だから何となく」と答える。私自身もそうである。私達がテレビから感じるものは、寂しさを紛らわせる効果音レベルのもので、テレビそのものに何かを期待している人なんて、もう存在しないと思う。
テレビと私達の間には、テレビが発信者で、私達が受信者という、揺るぎない関係が存在する。私達はその事に気付かず、いや、気付いているにもかかわらず、それを当然の事と捉え、何の抵抗も持っていなかったように思う。この関係をキャッチボールに譬えるなら、私達は一方的に投げ続けられるボールを、律儀にもキャッチしていたように思う。それがどんな球であっても、受け取ることが私達の義務であるかのように。私達はそんな毎日の中で、「自分もボールを投げたい」「誰かにキャッチしてもらいたい」と思い始める。そう、発信欲望に火がついたのだ。
私は、るいネットの交流会に初めて参加した日、帰りの電車の中から興奮状態で、家に帰ってもなかなか寝付けなかった。相手に期待し、期待されることで得られる充足感・みんなで新しい認識を紡ぎ出していく喜びを交流会でリアルに感じ、その場の臨場感、そして、仲間から受けた多くの刺激で、私の胸の高鳴りが治まることはなかった。私はボールを投げることができ、キャッチしてボールを投げ返してくれる人々に出会った。
その日、寝付けなかった私は、暇つぶしに何気なくテレビをつけた。しかし、何を見たのか全く覚えていない。テレビがどれだけ薄っぺらいものか、私はその日改めて実感した。傍観者ではなく自分が当事者となる充足感・快感を覚えた私にとって、もはやテレビの効果音すら耳に入らなくなったのだ。
こんな私と同じように、人々は今、虚論を展開させる現実離れしたテレビに興味がなくなってきているのではないだろうか。現実を生きる普通の人々と共認しあい、答え=新しい観念を共に紡ぎ出していく楽しさに気付き始めたのだ。私達が今求めているものは、一方的に押し付けられる概念ではなく、新しい認識を皆で作り出すリアルな場なのだと思う。誰かが答えを出してくれることを期待しながらテレビを見ていた時代は、もう終わった。テレビを見ながらウトウトすることはあっても、寝付けないほど興奮するなんてことは絶対にないだろう。
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