その「唯一」を美化する様々な観念によって、私たちは、「唯一関係(=恋愛や一夫一婦婚)は素晴らしいもの」と何の疑いもなく信じてしまいました。
そして、一旦その価値を認めてしまうと、逆にそれを目的に関係を築いたり、その定義に照らして関係を調整したりするようになりました。
ところが、元々その関係は、自分以外の他者や現実を否定して初めて成り立つ関係です。自分以外を否定した上で、心が通じるはずがありません。
お互いの要求内容が一致した場合(部分)のみ手を組む取引関係なので、そこでは、自我の衝突は避けられず、その場合、力関係(社会的力関係や性格的要因や規範etc)によって、一方が我慢するという形にしかなりません。
もちろんそれも、「喧嘩するほど仲が良い。(39033)」「献身」etcの観念で正当化されたり美化されたりしています。
戦後、それらの規範が崩れた途端、「我慢」という感覚が露呈してきたのは、その関係が元々そういう構造だったからです。
みんな、必死に観念操作することで何とか自分(のその感情)に言い聞かせようとしていますが、そんな自問自答がとてもモロイものだ(すぐにまた同じような不安や迷いが生じる)という事は、本当は分かっているはずです。 |
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