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3753 |
村落共同体の規範について |
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岩井裕介 ( 29 山口 再開発プランナー ) |
01/04/29 PM03 【】 |
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平井 康文さんの3742、3743についてコメントさせていただきます。
まず「規範」についての基本認識ですが、既に今井靖明さんにほとんど言い尽くされているとおりであると私も考えています。つまり「規範」は、集団の存続のために成員によって主体的に定められるルールであると思います。それに対して規範やルールと聞けば、反射的に自分にとってマイナスであるもの、他律的なもの(誰か自分と関係ない人がつくったもの、押し付けられるもの、縛り付けるもの)としてイメージしてしまう発想は、主体的な参加による集団形成の機会を奪われた奴隷の思考方法に他ならないと考えています。
ちなみに村落共同体における規範は、一般的にはムラオキテとムラギメに分かれるそうです。
ムラオキテというのは、継続的な公則の基本法にあたり、そうめったに変えられるものではなかったようです。一方ムラギメのほうは、具体的な執行法にあたるのですが、毎年の初参会で決められ、またムラの集会で状況に応じて随時変更されるものであったようです。
(推測ですが夜這いについていえば、機構そのものの基本はムラオキテであり、具体的な規制等についてはムラギメにあたるのでしょう。)
先人の知恵であり文化的な伝統でもあるムラオキテを継承しつつ、より具体的な事柄については、主体的な合議によるムラギメを併用していたと考えられます。
補足的に言えば、ムラにも階級や権力が全く存在していなかったわけではないでしょうが、若衆組や子ども組などの年齢別の階層組織の自主管理性が重んじられていたことなども考え合わせると、他律的な規制に従わされていたなどというのは誤った歴史認識だといえるでしょう。
またムラの規範や夜這いのルールは、それぞれのムラによってかなり多様であったようで、全く同じものはひとつとしてないとも言われていることから、私は近世の村落共同体というのは、自治性、独自性の高い共同体だったのではないかと考えています。
そうした規範を何故遵守していたかということについて一言でいえば、集団の存続のためでしょう。おそらく当時のムラの成員のなかにも規範を疎ましく思う感情も一部存在していたとは思いますが、だからといって掟を反古にしてしまうことを正当化してしまっては、共同体は解体してしまうと分かっていたのでしょう。資本主義と国家による中央集権体制が導入される以前は労働市場も確立されていないわけですから、都市に流れて生活を営む余地もあまりなく、まして自由を謳歌することなど望めない時代であったことから、当時においては共同体が解体するということは、同時に個人も存在基盤を失うことを意味していたのではないかと思います。
こうした時代状況を背景に村落共同体は成立していたと考えられるわけですが、集団の存続が第一義であるからには、「規範」が集団の存続にとって好ましくない個人の欲望に優先するのも当然であり、その掟にどうしても従えないというのであればムラを出ていかざるを得ないというのも至極当然のことだったのでしょう。
一般に歴史は不可逆であるので、現代人が昔に逆戻りすることはありえないわけですが、「規範」は自らが主体的に参加して守っていくものであるということは、もっと普遍的に捉えられるべきことなのではないでしょうか。
補足:何故、夜這いが解体したのかについては、矢野聡子さんの「夜這いの解体と一夫一婦制の確立」2795、2796、2875、2876が参考になるでしょう。
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