否定脳(旧観念)からの脱却
2891 自我とは?(フロイトとラカン)
 
西谷文宏 ( 24 和歌山 建築設計 ) 01/04/07 AM00 【印刷用へ
 実現論に書かれた「自我」は一般的に言われる「自我」とは少し違う。
 辞書を繙くと、こう書いてある。
じが 【自我】 〔英 self; (ラテン) ego〕
(1)〔哲〕 自分。自己。意識や行為をつかさどる主体としての私。対象 (非我)・他者(他我)から区別されるが、他我もまた一個の自我であ  る。人格や作用の中枢として、認識の根拠・道徳的行為や良心の座と  なる。⇔非我

(2)〔心〕
(ア)自分自身に関する主体としての意識の総体。自我意識。
(イ)精神分析で、イド・超自我とともに人格を構成する心的領域。イド  と外界の現実や超自我との間で現実原則に従って調整をはかるもの。エゴ。
【 大辞林第二版 】

 上の「自我」の定義だが、これはフロイトによって定義されたものであり、通常自我というと、この「フロイト自我」を指す。 ところが、この定義が極めて怪しい。
 「自分自身に関する主体としての意識の総体」こんなものが本当に存在するのだろうか?
 フロイトの弟子、ジャック・ラカンが彼の著「エクリ」の中で次のように述べている

自我とは主体の自律的、統合的機能ではなく、そのような機能についての妄想でしかない。 一連の自己愛的な(他者との)同一化の結果にすぎない自我は、想像でつくりあげた、自己を理想化する、主体の自己疎外の鏡像的構造である。」

 意識は固有不変の統合された何かではなく、時と場所によって変わるものであり、もし自分で自律的、統合的な「自我」というものを感じているのだとしても、それは妄想であるというのがラカンによる自我である。

 すなわち、自己認識のための意識の統合体としての「自我」(フロイト自我)など存在し得ないということである。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
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新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
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本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
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秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
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『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
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