結果を変える為には、プロセスを変える必要がある。
これは、思考に措いても全く同様であって、誤った「思考方程式」にいくら数値(事実認識や状況認識)を当てはめても、決して正しい答えは導き出されない。
それは自分の為の答えを出す思考方程式と、みんなの為の答えを出す思考方程式では、与えられた情報が仮に同じであっても、答えは全く異なるということに他ならない。
自己保身や自己評価や、他者否定を目的とする思考方程式は、例え一見傍から見て正しいようにみえる「答え」ですら、周囲に違和感を感じさせ、本質的には「自分のため」に答えを出しているという結果から逃れられなくなる。
入力する数値が同じでも、足し算と引き算では、まったく解答が異なるのと同じだ。
例えば
『構造認識は、普通の人が自分で答えを出してゆくためのOS=概念装置である』(261046)
という構造認識の必要性も、「自分で」という旧い思考方程式に組み込まれれば、自分で答えを出す為=自分にとって都合の良い答えを、自分ひとりで考える為の構造認識へと、その必要性は劣化してしまう。
間違ってもらっては困る。ここで言う「普通の人が自分で答えを出す」とは、あくまでも「普通の人がみんなの為になる答えを出す」ことを前提とし、目的としている。
現実問題。状況や役割や分担上、私たちは日常的に一人で判断や答えを出す必要に迫られることが多々ある。そういった一人思考の状況でも、常に「みんなの為」の答えを導き出す為の思考方程式として、この構造認識の必要が存在している。
|
|