現代は市場原理に基づく経済システムが実体経済から遊離(バブル化)して、経済は崩壊の危機に陥っています。この経済システムに、過去〜現在に至るまで異議を唱えてきた経済理論家たちがいます。このシリーズではそれらの理論家の思想や学説を改めて見つめなおし、次代の経済システムのヒントを見つけていきたいと思います。
前回は、ガンジー思想の発展者としてのサティシュ・クマール氏をみてみました
脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(6)サティシュ・クマールその1
【ガンジーとの出会い、ガンジー思想の継承発展】
自然の恵み(資源)への敬虔的態度
「未発展」「貧乏」という西欧合理主義の洗脳、陰謀
インド独立には、伝統的な生産への回帰が必要
手仕事によるスワデーシ(地域経済)こそが必要
知足(足るを知る)の経済、平和の経済
今回は、『君あり、故に我あり』の第4部で展開されている、クマール氏のデカルト批判、西欧近代思想に対置する「関係をみる哲学」「依存の哲学」を紹介します。
『君あり、故に我あり〜依存の宣言』(講談社学術文庫、尾崎修・尾崎沢人訳、2005年翻訳発行)からです。
>私が目撃した2001年9月11日のニューヨークのツイン・タワーへの攻撃のような悲劇や、軍備拡張競争、環境悪化、社会的不公正などの国際的葛藤は、デカルト的懐疑、二元論、個人主義、その他すべての「何々主義」に根ざしている。二元論の種子は、デカルトの有名な格言「我思う、故に我あり(私は考える、故に私は存在する)」に見出すことができる。
>しかし、私は、インドでは良く知られているが西洋ではあまり知られていないサンスクリットの格言「ソーハム(彼は我なり)」に要約される、新たな世界観を持っている。この格言は私のマントラ(経文)となった。これは二元論ではなく、分割されない関係を表すマントラである。私は「ソーハム(彼は我なり)」を「君あり、故に我あり(あなた方が存在する、故に私は存在する)」と翻訳する。
『君あり、故に我あり』の「はじめに」より<
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