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実現論:序4(上) 統合階級の暴走で失われた40年 |
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岡田淳三郎 ( 70代 大阪 経営 ) |
11/09/02 AM00 【】 |
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【市場主義の暴走と市場崩壊の危機】
何も実現できなかったのは、市民運動だけではない。同じ近代思想を信奉する統合階級も同じである。
先進国は、すでに’70年頃に、私権社会から共認社会への根底的な転換点を迎えていた。私権欠乏が衰弱したことによって、市場は縮小してゆくしかなくなっていたのである。
しかし、この社会をリードする学者や官僚やマスコミや政治家=旧勢力は、この新しい状況の本質をまったく把握できず、「市場拡大は絶対」というイデオロギーに凝り固まって暴走してゆく。
彼らは、不足する需要を補うために、大量の国債を発行して、見せかけの市場拡大に血道をあげてきた。実際、元々ゼロだった国の借金は、’70年代から急速に増大してゆき、いまや1000兆円にも達しようとしている。
この、国家による1000兆円もの投入資金をGDPから差し引けば、経済は実質マイナス成長となる。つまり、上述したとおり、’70年豊かさの実現を以って、市場は縮小するしかなくなっていたのである。
にも関わらず、「市場主義」に凝り固まった統合階級は、ひたすら借金を膨らませることで資金を作り、それを市場に注入し続けてきた。
しかし、物的欠乏≒需要は衰弱してゆくので、いくら資金を注入してもそのお金は実体経済には回らず、投入した資金の大半はジャブジャブにダブついてしまう。このダブついた資金は、結局、土地や株式etcの投機商品にしか向かわない(∵土地や株式は、供給がほとんど増えないので価格が上昇する一方となる)。かくして、国債経済=借金経済は、必然的に実体から遊離したバブル経済を生み出す。
しかし、バブルは必ず崩壊する。バブル経済の先頭に立たされた日本のバブルは、’90年に崩壊し、その後、ITバブル等を媒介して作り出された世界中の金融バブルは、’08年に崩壊した。
しかも、ここに至ってもなお、世界中の統合階級は「市場を拡大するために」大量の国債を発行して、資金を市場に注入し続けている。その結果、ついに発行し過ぎた国債の暴落=市場崩壊の危機が目前に迫ってきた。
まさに無能の極みであるが、ここで、社会の統合を担う受験エリートたちの無能さを、大衆はしっかりと頭に刻みつけておく必要があるだろう。
同時に、大衆は、「もはや彼らには任せておけない。自分たちで統合課題を担うしかない」と、そろそろ腹をくくる必要がある。
【失われた40年】
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
この世には、医療だけではなく、農業や介護や新エネルギーの開発etc、市場ではペイしないが、社会的に絶対必要な仕事がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的消費ではなく、あるいは福祉と称して非生産者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。
このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
問題は、統合階級が、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家によって支えられた国家市場しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。
彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。 |
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