「想定外」。このたびの原発事故で関係者(科学技術者)が発した言葉だ。
この言葉を聞いた我々一般大衆は「そんなことも想定していなかったのか」と呆れ、ことの重大さ対する関係者の傍観的姿勢に怒りを禁じえない。
しかし、冷静になって考えてみれば、この「想定外」という発言は、学者自らが近代科学の重大な欠点に気づいていないことを示している。
近代科学は、ある一定の条件下でだけ成立する法則の集合体だ。あたかも全ての条件下で適用可能な一般法則のように思われているが、実は違う。万能性はない。しかも、この欠陥を逆に捉えると、恣意的に条件を変えれば、自らの都合が良いように特定の結果を導く事が出来る。ここに近代科学が万能であるという妄信が加われば、恣意的に操作した結果得た答えでさえ、万能性のもとに得た最良な結果である、という妄信が生ずる。
今回の原発事故は、そのようにして生じた。
どこまでの事態を勘案するか、恣意的に条件設定したにも関わらず、あたかもそれが万能であるかのような「安全」という答えを導いた。そして、恣意的な条件操作をした際に抜け落ちた、もしくは、作為的にに勘案しなかった部分が「想定外」だったのである。
恣意的な操作をしているにも関わらず、それを万能と思い込むことは、もはや原理主義といっていい。「想定外」という発言がでる時点で、自らが恣意的な操作をした事を認めていない。当然、自らが信仰する近代科学の重大な欠陥には気づいていない。恣意的な操作をしたことを「意図してやったわけではない」という発言は、自己正当化を通り越して完全に思い込みの世界である。
そのような原理主義者が立派な学者として崇められているらしい。恐ろしい事だとしかいえない。
我々は、原発を生み出したのは、近代科学原理主義者たちであると知ると同時に、そのような危険人物が特権階級に居座っていることを知らなくてはならない。 |
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