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’10年末なんで屋劇場レポート3〜南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生 |
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山澤貴志 ( 45 鹿児島 ITコンサル ) |
11/01/03 PM00 【】 |
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●南方モンゴロイドの拡散
他方、南方のモンゴロイドは温暖湿潤で豊かなスンダランドを中心に、大きな移動を起こすこともなく、定着して南方に適応的な形質を強めていったが、1.4万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの海没が始まり、南方モンゴロイドの拡散が始まる。
その内の一派は太平洋へと乗り出していき、ポリネシア、メラネシア人となり、インドへと流れ込んだ一派がドラヴィダ人となり、中国へ進出した人々が現在につながる原中国人となった。(バイカル湖周辺にいた北方モンゴロイドも南下し合流したと思われるが、前述の通り免疫力に劣るため、少数派となった。)
また1.4万年前の温暖期に、D祖型のモンゴロイドがスンダランドからモンゴル高原へと進出した。しかしそのすぐ後、1.3〜1.1万年前の極寒化に伴い、一方では西回りにチベット方面へ、もう一方では東回りに南下し朝鮮半島を越えて日本へとやって来た。前者は、チベット族(D1,D2)となり、後者は縄文人(D2)となった。
以上、南方系モンゴロイドの系譜を模式図にまとめる。
5.5〜5万年前
インドへ原モンゴロイド到着(C祖、F)
├───────┬─────────┬──────────┐
│ │ │ │
│ オーストラロイド←スンダモンゴロイド→ シナモンゴロイド
│ │ │ │
│ │ 1.4万〜6千年前 │
│ │ スンダランド海没 │
│ │ ↓ │
│ │ 南方モンゴロイドの拡散 │
│ │ (D祖、O、O1、O2) │
├───────┼────┬────┼────────┐ │
│ │ │ モンゴル高原へ │ │
│ │ │ (D祖) (O1、O2) │
│ │ │ ┌─┴───┐ │ │
インドへ 豪州へ │ チベットへ 日本へ 中国で混血
↓ ↓ │ ↓ ↓ ↓
ドラヴィダ人 アポリジニ │ チベット族 縄文人 原中国人
C、F、O2 C4、K4 │(D1,D2)(D1>C1、C3)(D1,D2)
↓
太平洋の諸島へ
ポリネシア人・メラネシア人
C2、K、K3、M1、O1、O3
●新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
1万年前、温暖化すると、スンダランドからパミール高原・タミル盆地に北上していたO型モンゴロイドがさらに北上してアルタイ山脈・モンゴル高原に進出し、新たに北方適応したO3タイプの北方モンゴロイドとなる。このタイプが後のトルコ族、モンゴル族、ツングース族といった現存する北方モンゴロイドの祖となる。この新しく登場し、現在につながる北方モンゴロイドをほとんどが絶滅してしまったC型の旧い北方モンゴロイドと区別するために新モンゴロイドと呼ぶことにする。このO3モンゴロイドはこの後、中国へ進出すると、豚の家畜化に伴って強い免疫力を獲得したためと思われるが、中国人の主流となって行く。現存する中国人は、華北では66%、華南でも33%、チベットでも33%がO3タイプである。
ただし、日本ではO3タイプの比率はそれほど多くなく、都道府県によるばらつきはあるが、24〜14%といったところである。これは同じO3タイプでも免疫力を獲得しないまま日本に到着したためと考えられる。(免疫力の強さと遺伝子タイプは必ずしも一致しないと考えらるべきだろう。) |
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