
|
|
|
232520 |
5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(2) 5000年前の文字登場以降、共認機能は衰弱している? |
|
|
話し言葉は一見アナログ情報に見えるが、一個一個の単語にバラせばデジタル記号であり、右脳・左脳が役割分化したのは、話し言葉が登場した時代(200万年前)にさかのぼるが、それでも話し言葉は共認機能と直結しており、文字よりもはるかに断層は小さい。
文字できたのはわずか5千年前だが、それ以降、文字情報の増加によって左脳の負担は増している。このことは、今後も、右脳・左脳の役割分担が進んでゆくことを暗示している。
観念機能の原点は200万年前の精霊信仰、つまり、万物の背後に視覚では見えない精霊を共認対象として措定することにある。これが観念原回路であるが、それは共認機能が最も進化した先端で生まれたものである。つまり、観念機能の土台に共認機能があるわけだが、観念機能登場後も文字の登場までは、共認機能は進化し続けてきた。その中でも話し言葉が増えるにつれて右脳・左脳の棲み分けは進んでいたが、右脳・左脳の分化が急加速したのは文字の登場後である。
それにつれて(文字の登場以降)共認機能は衰弱しつつあるのではないか? それにつれて観念の暴走とも呼ぶべき現象が進んでいる。
例えば、法律の増大である。
原始時代〜採集時代までは、人類集団は不文律によって秩序化されてきた。それは万人に適用されるものであるが故に、万人がそれを肉体化して知っていることが前提条件であるが、近代の法律は法律家でもわからないくらい膨大な量に膨れ上がっている。万人が知らない所で法律が作文され、それによって規制されている。そもそも万人が共認すべき規範という領域において、法律家という専門家が存在して、それを独占していること自体がおかしい。
文字登場の歴史は2段階に分かれる。
@他集団との交易が始まり、その記録の必要から。
A時代が進んで、徴税のための記録。
いずれも経済がらみである。
★果たして、人類にとって文字は必要なものなのか?(次回以降、扱う) |
|
|
この記事は 232519 への返信です。
|
この記事に対するトラックバックURL http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_232520
※トラックバックは承認制となっています。
|
|
|