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185722 |
テレビが考える時間を奪う(清水幾多郎) |
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小暮 勇午 ( 30 京都 路上人 ) |
08/09/15 AM02 【】 |
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人間は、余暇時間に悩み、反省し、モノを考える。だから、この余暇時間をテレビを見ることに使うということは、考える時間を削っていることと同じである。
テレビ脳などテレビの弊害や害悪は様々言われてきたが、「テレビが考える時間を奪っている」ことが根本的な問題ではないだろうか。そして、モノを考える時間を確保するためにも、意識的にでもテレビを消し、遮断する必要がある。
森田実の時代を斬る 2008.9.8(その4)リンク
------------------以下引用------------------
横山滋著『脱テレビ時代の到来―清水幾太郎の論じたテレビと社会、半世紀の再訪』を読む――活字独裁の終焉/テレビは苦悶、反省、勉強を不可能にした/テレビにより資本の論理が家庭にまで浸透する
(清水幾太郎 1958年)《個人の自由な使用に委ねられている余暇がなかったら、革命というものは容易に起こり得なかったであろう。革命というのが少し大袈裟に聞こえるとしたら、人間の成長とでも言い換えよう。とにかく、余暇において初めて可能になる苦悶、反省、勉強がテレビジョンによって不可能になり、人間が昼間は現実によって吸収され続け、夜はリアリティを持って迫る映像にノック・アウトされ続けていたら、与えられた現実を越えて行くという人間の態度はなかなか生まれるチャンスがないであろう。過去の革命の細根は、恐らく、疲れ果てた人間が余暇を現実超越的に利用したことのうちにあったと思う。テレビジョンは革命の細根が育つ条件を許さないであろう。》
テレビが人間の苦悶、反省、勉強を不可能にしたことは、この50年のテレビの歴史が証明している。清水先生は50年前にこのことを見通ししていたのである |
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