>適応欠乏⇒応合回路⇒精霊回路というのは、人類を人類たらしめしている(or人類の将来を左右する)基幹回路であり、「人類とは何か?」という問いに対する『答え』だということです。>(104670)
土山さんの投稿を読んで、次の投稿の中身がより繋がりました。
>構造思考の求める答えとは、内部意識(欠乏や危機や課題)と状況認識をイコールで結ぶことのできる実現回路を開くことであり>
>A.否定意識や感応観念から脱却できている事。⇒思考の動因は、充足基調⇒本源収束と社会不全⇒社会収束のみであること。>(19061)
充足基調とは、本源の応合回路の発現であり、事実を共認する回路の発現だと思います。
応合回路発の充足基調だから、あらゆる対象に感覚を張り巡らせ(注視)、応えるべき期待(課題)を探索し続け、それに応えるべき事実の中身を追求し続ける。
>しかし、実践思考が主要に潜在思念を使う(内部意識も外部認識も)のに対して、簡単に実践できない⇒答えが見出せないが故に必要になる構造思考では、潜在思念の紡ぎ出す構造観念(主体や状況を構造化した観念)を使う。この普遍妥当する構造観念という位相は、社会(超越存在)を対象とする限り、必然的に求められる認識位相である。>(同)
私権が崩壊して本源充足の可能性が開かれた状況で、誰もが直面している収束不全とは、本源の応合回路の収束先が見えない不全なのだと思います。
このことは、応合回路が発現して対象に収束していかないということですが、それは、誰もが抱える収束不全を明確に直視して顕在させきれていないゆえに、可能性の開かれた応合回路が彷徨っている状態なのだと思います。
だから、収束不全の状況認識を直視することが応合回路の発現を促し、そして逆に応合回路が豊かに発現すればするほど、収束不全を現実のみんな期待(課題)としてより直視し深く同化して受止め、次代のみんな期待に収束させていく。
そして、収束不全の応えを求め社会を対象に探索・追求(“社会収束”)し、それが“構造観念の必要”をより鮮明にしていく。
つまり、
“収束不全⇔応合回路⇔構造観念の必要”が、スパイラルに上昇していく構造。
それが、みんな期待を対象とする“次代の闘争”へ繋がる構造だと思います。
応合回路を太くし、みんな期待に応え闘争して充足するのも、現代の(自らも含めみんなが直面している)収束不全の状況認識への同化から始まる。
現代の収束不全が、次代の人類を人類たらしめる可能性なのでもある、と思う。
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